2014年 09月 18日
京都/島原 角屋へ |
先週末の土曜日は京都へ♪
お天気も良く色々な場所を幅広く廻りたいと思ったので、車で出かけたのですが、
連休一日目、家を出て中国道に入るとすぐに渋滞;;引き返して電車で行く事に。
行ったのが、京の夏の旅キャンペーンで特別公開されていた『島原の角屋と輪違屋』
『島原』は、江戸時代以来、公許の花街です。
西本願寺の西に位置し、正式地名は西新屋敷ですが、
寛永18年(1641)急な移転騒動が起こり、
当時の九州・島原で起こった乱に似ていたので、『島原』と呼ばれるようになりました。
単なる遊宴場にとどまらず、和歌俳諧壇が形成されるほど活況を呈していましたが、
明治以降は次第にさびれてゆき、現在では、
揚屋(今の料亭にあたる店)の「角屋」、置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋」
そして、島原入り口の「大門」が名を残すだけとなっています。
まずは 角屋(すみや)へ。
今回の特別公開では、
「臥龍松の庭」「松の間」「網代の間」「台所」など、一部が公開されていました。
江戸時代のもてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構です。
入り口には、よく伸びる蔓と蔦を配した「蔓三つ蔦」の家紋が入った暖簾がかかり、
鮮やかな赤壁が目に入って来ます。
正面が台所に通じる中戸口で、客人は右手の玄関から座敷へ入るようになってます。
その角の柱には、新撰組の「刀傷」痕が…。歴史を感じれます。
台所に入るとまず目に入って来たのが、「三宝荒神」台所の神様を祀る飾り竃。
当時の揚屋を伺える台所で、
外から見た赤壁の派手な印象と違って素朴で民家風に作られていました。
とにかく広く、たくさんの人が効率的に動けるようなっています。
松の間は、大座敷で43畳の広さ。
一度火事で一部が焼失しましたがすぐに再建されました。
残念ながら、再建されたことによりこの部屋だけが重要文化財から外されています。
この座敷には、岸蓮山筆の「金地桐に鳳凰図」の襖絵があり、
外を眺めると「臥龍松の庭」や「曲木亭」が見れ、華やかさを感じる事ができました。
「網代の間」は写真を撮ってないのですが、
網代天井が広がる28畳の赤壁が妖艶な座敷になっています。
その座敷から見える坪庭との、
光と影の対比が特別な時間と空間の演出にもなっていような気がしました。
この建物は、今で言うインテリアデザイン・コーディネートにも優れていました。
松の間の欄間や襖の引き手・釘隠しなど、あらゆるところに家紋である蔦が入っていて
障子戸の格子も部屋それぞれでデザインされています。
京都は、色々なところを拝観したり、廻ってきましたが、
ここは、新撰組や歴史上の方々が楽しまれた場と言う事あってか、今まで無い空気感を感じることができました。
今回は、二階と美術館は見れなかったので、公開があればまた行きたいと思いました。
***つづく***
□□□島原・角屋□□□
京都市下京区西新屋敷揚屋町
《今回の公開》
第39回 京の夏の旅 文化財特別公開
平成26年7月19日〜9月14日
10:00〜16:00
主催:公益社団法人京都市観光協会
皆さん、いつも応援ありがとうごさいます〜♪
これからも、ポチッとしていただけたら嬉しいです^^*
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お天気も良く色々な場所を幅広く廻りたいと思ったので、車で出かけたのですが、
連休一日目、家を出て中国道に入るとすぐに渋滞;;引き返して電車で行く事に。
行ったのが、京の夏の旅キャンペーンで特別公開されていた『島原の角屋と輪違屋』
『島原』は、江戸時代以来、公許の花街です。
西本願寺の西に位置し、正式地名は西新屋敷ですが、
寛永18年(1641)急な移転騒動が起こり、
当時の九州・島原で起こった乱に似ていたので、『島原』と呼ばれるようになりました。
単なる遊宴場にとどまらず、和歌俳諧壇が形成されるほど活況を呈していましたが、
明治以降は次第にさびれてゆき、現在では、
揚屋(今の料亭にあたる店)の「角屋」、置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋」
そして、島原入り口の「大門」が名を残すだけとなっています。
まずは 角屋(すみや)へ。
今回の特別公開では、
「臥龍松の庭」「松の間」「網代の間」「台所」など、一部が公開されていました。
江戸時代のもてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構です。
入り口には、よく伸びる蔓と蔦を配した「蔓三つ蔦」の家紋が入った暖簾がかかり、
鮮やかな赤壁が目に入って来ます。
正面が台所に通じる中戸口で、客人は右手の玄関から座敷へ入るようになってます。
その角の柱には、新撰組の「刀傷」痕が…。歴史を感じれます。
台所に入るとまず目に入って来たのが、「三宝荒神」台所の神様を祀る飾り竃。
当時の揚屋を伺える台所で、
外から見た赤壁の派手な印象と違って素朴で民家風に作られていました。
とにかく広く、たくさんの人が効率的に動けるようなっています。
松の間は、大座敷で43畳の広さ。
一度火事で一部が焼失しましたがすぐに再建されました。
残念ながら、再建されたことによりこの部屋だけが重要文化財から外されています。
この座敷には、岸蓮山筆の「金地桐に鳳凰図」の襖絵があり、
外を眺めると「臥龍松の庭」や「曲木亭」が見れ、華やかさを感じる事ができました。
「網代の間」は写真を撮ってないのですが、
網代天井が広がる28畳の赤壁が妖艶な座敷になっています。
その座敷から見える坪庭との、
光と影の対比が特別な時間と空間の演出にもなっていような気がしました。
この建物は、今で言うインテリアデザイン・コーディネートにも優れていました。
松の間の欄間や襖の引き手・釘隠しなど、あらゆるところに家紋である蔦が入っていて
障子戸の格子も部屋それぞれでデザインされています。
京都は、色々なところを拝観したり、廻ってきましたが、
ここは、新撰組や歴史上の方々が楽しまれた場と言う事あってか、今まで無い空気感を感じることができました。
今回は、二階と美術館は見れなかったので、公開があればまた行きたいと思いました。
***つづく***
□□□島原・角屋□□□
京都市下京区西新屋敷揚屋町
《今回の公開》
第39回 京の夏の旅 文化財特別公開
平成26年7月19日〜9月14日
10:00〜16:00
主催:公益社団法人京都市観光協会
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by chicher
| 2014-09-18 18:15
| お出かけ